新型コロナ対策と国境開放の狭間で
~香港とシンガポールの対照的な対応~

UPDATE :
2021. 10. 25

SUMMARY

香港とシンガポールには共通点が多いが、観光客受入再開の動向は対照的である。香港は、中国本土との往来自由化を優先するため、それ以外からの入国規制が維持されている。シンガポールは、隔離無しでの入国が可能な国を拡大している。このように対応の足並みが揃わないことで、欧米と比べるとアジア域内での往来再開は難航することが予想される。日本も、インバウンド再開に向けて、各国との議論を活性化させる必要がある。

はじめに

緊急事態宣言が9月30日をもって解除され、ワクチン接種率の向上もあり、10月以降、日本国内の往来が徐々に回復してきた。解除後最初の週末となった10月2日(土)の朝、筆者は新大阪駅にいたが、旅行会社の旗を持った添乗員が同行する団体ツアー客を2グループ見かけた。いずれの団体も15名程度であったが、旅行に対する消費者の需要の高さを感じさせる光景であった。

日本と海外との往来については、新型コロナウイルスの水際対策として、ワクチン接種を条件に、10月以降、これまで14日間の待機期間であったものが、最短で10日間に短縮された。一方、海外では、各国が指定する国や地域について、指定するワクチンの接種済み証明の提出等を条件として、隔離不要とする国も増えてきた。欧米が先行しているが、アジアの中で代表的な取組を行っているのがシンガポールである。また、日本と同じように、海外との往来を厳しく制限する国や地域もあり、香港が該当する。

香港とシンガポールには、英語を話し、中華圏、都市国家、海外との中継貿易に立脚、といった共通点が指摘できるが、海外との往来再開に当たっては、両極端な対応を見せている。なぜ対応に差が出て来たのか、海外との往来再開に向けた議論を見ていきたい。

*各国における制限措置は、別途記載が無い限り執筆時(2021年10月13日)現在のものである。

香港とシンガポールの共通点

香港とシンガポールについて、読者の多くの方が、似かよっているイメージをお持ちではないだろうか。言語や都市形態、経済構造等、近いものがあると共に、訪日インバウンドの観点からも、リピーターが多く、個人旅行が多い、という共通点を見いだす事が出来る。

この2つの国、地域について、統計データの抜粋が図表1である。人口、面積、それに応じるように、輸出入額も香港が上回っている。一方で、1人当たりGDPではシンガポールが香港を3割弱上回っており、この点についてもイメージとの乖離は小さいのではないだろうか。

人口規模では、香港がシンガポールの1.31倍のであるが、空港旅客数ではその差は1.09倍まで縮まっている。シンガポールと香港の人口の差と比べて、なぜ空港旅客数の差は小さいのだろうか。理由としては、シンガポール人の方が人口当たりの空港利用率が高さや、外国人の往来の多さが考えられるが、いずれにしても「人の海外との往来の依存度が高い」のがシンガポールであると言えるだろう。

香港 シンガポール
面積*1 約747万人 約569万人
1人当たりGDP(2020年)*1 46,707米ドル 60,825米ドル
輸入額(2020年)*1 5,504億米ドル 3,342億米ドル
輸出額(2020年)*1 5,063億米ドル 3,801億米ドル
空港旅客数(2019年)*2 7,150万人 6,560万人

図表1
*1 外務省
*2 香港空港管理局、チャンギ空港

海外との往来再開のスキーム

海外との往来について、「ビジネストラック」、「レジデンストラック」、「トラベルバブル」といった用語を覚えてらっしゃるだろうか。海外との往来の段階的な再開に当たり、昨年多くの議論が行われた概念で、「対象国・地域との間での双方向の往来を可能にするスキーム」[i]である。

日本においては、「ビジネストラック」、「レジデンストラック」まで実現したが、2021年1月14日以降、このスキームは「一時停止」の状況にある。[ii]

「トラベルバブル」とは一般的に、2つ以上の国、地域の間で、合意に至った定められた条件の下で、相互主義の観点に基づき、お互いの国民、住民の往来を可能とさせるスキームである。その代表的な事例が、オーストラリアとニュージーランドの間で実施されていた、入国時の隔離無しでの相互往来の自由化であった。

この両国間の「トラベルバブル」は2021年4月18日から開始されたが[iii]、オーストラリア内での感染拡大により、2021年9月17日から当面8週間、一時停止となっている[iv]

香港とシンガポールの間にも当初、この「トラベルバブル」の構想があり、2020年11月からの開始で合意がなされていたが[v]、香港側での感染拡大により延期となった。その後も再開に向けて協議が行われたものの、シンガポール側での感染拡大もあり2021年5月からの実施も再延期、最終的には「交渉打ち切り」が両政府から発表された(2021年8月19日)[vi]

香港とシンガポールの海外との往来方針

「トラベルバブル」という、往来再開に向けた前向きな取組がなぜ、「交渉打ち切り」となったのだろうか。背景には、国境再開に関して、新型コロナウイルスの感染拡大の徹底した押さえ込みと、新型コロナウイルスとの共存という、2つの国と地域における政策の違いが現れた形だ。

中国本土との往来を優先し、海外との往来を制限することで、中国側の往来再開条件を満たす様、徹底した感染拡大防止継続を決めた香港。ある程度の感染拡大は必要悪とし、新型コロナウイルスとの「共存」に舵を切ったシンガポールという違いである。

「打ち切り」発表の翌日から、これまで制限があった両国の往来に変化が生じた。シンガポールは「共存」の方針に基づき、所定の航空便利用等を条件に、香港からの入国について目的を問わず、隔離無しでの入国を認めている[i]

一方の香港は、シンガポールからの来訪者に関して、目的を問わず入国は認めているが、ワクチン接種済みでも最低14日間、非接種の場合には最低21日間の指定ホテルでの隔離措置を課している(自宅や親類、友人宅等への滞在は不可)[ii]

1)香港

2021年8月に、シンガポールとのトラベルバブルに関する交渉を打ち切り、海外との往来再開に慎重な姿勢を見せたが、10月に入ってもその姿勢は変わっていない。香港特別行政府のトップである行政長官は、10月11日に行われた、米メディア・ブルームバーグのインタビューで、新型コロナによる死者が1人であっても、「社会で重大な不安を招く」と発言、中国本土との往来再開を優先し、中国の厳格な「コロナゼロ」政策に従うとしている[i]

香港政府は現在、香港への入国時、原則最大21日間の隔離措置を定めているが、中国本土とマカオからの入境に関しては、1日当たりの上限を定め、条件を満たす場合には、隔離を免除している。しかし、人数の上限を設けていること、中国本土側の厳しい入境条件があることから、自由な往来にはほど遠く、これらのすり合わせによって、中国本土との人の往来自由化につなげたい、というのが香港政府の第一優先目標となっている。

なお、日本から香港への入国については、先述のシンガポールからの入国と同様に、最低14日間の指定ホテルでの隔離が必要である[ii]

2) シンガポール

新型コロナウイルスとの「共存」の道を選んだシンガポール政府は、その具体的な措置として、ワクチン接種者を対象として、指定する国や地域から訪問目的を問わず、隔離無しでの一般渡航を可能とする「ワクチン・トラベルレーン(Vaccinated Travel Lane, 以下VTL)のスキームを、9月8日から開始した[iii]

当初の対象国は、ドイツとブルネイであったが、現在では対象国は11カ国にまで拡大されている[iv]。日本は残念ながら対象となっていないが、その理由は、このVTLのスキームが相互主義に基づくもので、日本側でも同様の緩和措置が求められるためである。

VTL対象国(10月13日現在)
ドイツ、ブルネイ、カナダ、デンマーク、フランス、イタリア、オランダ、スペイン、イギリス、アメリカ、韓国

香港とシンガポールの対応が分かれた背景

本稿冒頭で、香港とシンガポールの近似性について指摘をしたが、海外との往来の観点で大きな違いがある。2019年の香港、シンガポールへの海外(香港の場合中国本土も含む)からの訪問者を国籍別に見てみると(図表2)、いずれも中国が一番多いが、ここでは全体に占める比率に注目いただきたい

香港への中国本土からの来訪がおよそ4,400万人で全体の78.3%、シンガポールへは360万人で19.0%と、香港への訪問者の圧倒的多数が中国本土からという事が分かる。人数も一桁香港の方が多い状況で、香港にとって中国本土からの訪問者がいかに大切なお客様で、往来再開の第一優先を中国大陸とするというのも、このような経済的な背景があると考えられる。

もちろん、一国二制度、政治的なつながりの深さや、ある意味「国内」という位置付けの中国本土が優先されるのは当然という指摘もあろうが、シンガポールとのトラベルバブルについて2020年から検討していた、というのもまた事実であり、最初から中国本土との往来を最優先としていたわけではない。

香港、シンガポールへの海外(香港の場合中国本土も含む)からの訪問者数(2019年)

中国自身が、海外との往来再開を厳しくしている背景として、2022年2月から始まる北京冬期オリンピックを成功に導きたい、という意向が働いていると考えられる。海外からの感染者流入による感染拡大、それに伴うオリンピック開催への影響や、オリンピック観戦に訪れる海外からの入国者による感染拡大を懸念し、2021年9月29日、北京オリンピックでの海外の観客受け入れ見送りを早々に発表している[i]

こうした中国本土側の思惑もあり、香港政府はシンガポールの「新型コロナウイルスとの共存」という方針には賛同できず、8月のトラベルバブル交渉打ち切りにつながったのだろう。香港の旅行やメディア業界の友人からは、来年の北京オリンピックが終わるまでは、中国本土との往来再開もままならず、海外との往来については更に後になることから、日本で来春の桜を観られるのか、悲観的な見通しが拡がっている。

最後に

国連世界観光機関(UNWTO)によると、2021年7月の世界の観光客数は5,400万人と、2020年4月以降で最多となった[i]。UNWTOでは、主要国での入国制限の緩和とワクチン接種率の向上を増加の要因として指摘している。地域別には、米州や欧州地域での回復が顕著となっている中で、アジア大洋州地域の回復が最も低調である(図表3)。

アメリカやヨーロッパ諸国を中心に、国際的な往来再開の動きが2021年上期から活発化しているが、アジア地域では7月にタイが、プーケットに限定しての往来の一部再開、9月にシンガポールが「ワクチン・トラベルレーン(VTL)」を導入するなど、下期に入りようやく動きが出てきたところである。

アジアを代表する英字旅行業界誌TTGは、2021年9月21日付の社説で、同誌の統括編集長であるKaren Yue氏の署名記事として、アジアには多くの異なる価値観の国が存在し、「船頭多くして船山に上る」の例えを用い(“A challenged recovery: Too many differences in Asia spoil the broth”)、アジアの回復の遅さの要因について指摘している[i]

同氏によると、アジア域内での往来再開に向けての障害として、4つの項目を挙げている。

  • 再開に向けた政策決定に影響を与える各国間でのワクチン接種ペースの違い(differing pace of national vaccination, which impacts the extent of activity resumption)
  • 各国ごとに異なる認可されたワクチンの違い(differing list of recognized vaccines)
  • 新たな感染者が出るたびに変更される渡航制限の変更による、旅行者の混乱さ(differing travel restrictions that continue to change with every new wave of infection and add to travelers’ confusion)
  • 感染症対策に対しての各国の政治的スタンスの違いと、それにより消滅した自由な往来 (differing political stance on pandemic management, which has ruined potential travel green lanes)

特に4点目については、香港とシンガポールのトラベルバブル交渉打ち切りについて、念頭にあると考えられる。国際的な往来再開に向けては、査証制度の様に、国と国の間での相互主義を原則とすることから、国際的な協調の大切さを、同氏は示唆しているのではないだろうか。日本も、インバウンド再開に向け、議論の活発化が必要だ。

PROFILE

プロフィール

清水 泰正 しみず やすまさ

京都市観光協会アドバイザー Japan Tourism Research & Consultancy Limited

14年間の日本政府観光局(JNTO)勤務を経て、インバウンドに関する戦略コンサルタントとして独立
シンガポール、香港での計9年間の駐在を通じ、マーケットインの視点での誘客、データに基づく分析力を磨く
Japan Tourism Research & Consultancy Limited社 代表取締役、(社)日本フォトウェディング協会顧問

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